名も無きぐうたら日記

型月とかゲームのこととかをぐうたらに書いていく日記帳

劇場版「空の境界」10th Memorial Theatre-夢のような、日々-

2017年11月27日

ぼくは争奪戦に勝った。


空の境界 20周年記念版の抽選。そして、劇場版「空の境界」10th Memorial Theatre-夢のような、日々-のチケット争奪戦。

2つの死闘を無事潜り抜けた。

空の境界の記念イベントだから是非とも2つとも勝ちたかったのでひとまず一安心。

しかし、ここで気が抜けたのか次の日から体調を崩してしまった。


2017年12月1日

なんとか体調を戻して臨んだ劇場版「空の境界」10th Memorial Theatre-夢のような、日々-。

劇場はテアトル新宿劇場版空の境界が最初に上映された映画館。

ここで、空の境界を見れるという事実だけで心が震えた。

1/俯瞰風景から終章/空の境界までの全8章約10時間を一挙上映するというかなりのハードスケジュール。

各章の細かい感想は長くなりすぎるので特に語りたい部分を語っていく。

まず俯瞰風景でのM12+13。魂が震えた。やはり空の境界といえばこれだろとなるほどの名BGMであるM12+13を劇場で聞けたことに感謝した。

殺人考察(前)での「君が光に変えて行く」、最近この曲がマイブームだったりする。この曲は幹也と式がお互いにとってどんな存在なのかをとてもよく表現できていると思った。エンディングでめちゃくちゃ号泣してました。

それと幹也の「────1995年4月 僕は彼女に出会った」

最高すぎた。

痛覚残留では幹也が藤乃を助ける立場のはずの父親が殺害を依頼していた事実と自分がもっとはやく気付けていたなら助けられたかもしれないという後悔から「馬鹿野郎…!」って言うシーンがすごく好きだし、藤乃の「────もっと生きて、いたい。 ────もっと話して、いたい。 ────もっと思って、いたい。────もっと ここに いたい────」でも泣いた。

伽藍の洞では幹也と式の再会シーンで泣いた。自分はどうやらああいう幹也と式の二人のシーンに弱いらしい。

矛盾螺旋ではやはり巴の家族愛に泣いた。そして、その家族愛によって起こした行動はたとえ起源が無価値であったとしてもたしかに意味があった。巴はたしかにそこにいた。それが荒耶宗蓮を破滅に導いたのだと思う。

忘却録音、これは原作と比べかなり軽い内容になっているが個人的にはアリだと思う。玄霧皐月のところはかなりカットされているが、本題はそこではないと判断してのことだと思う。何より黒桐幹也の特別性というものをちゃんと描いていたので個人的には満足である。そして、殺人考察(後)への予告で泣いた。

殺人考察(後)、「式。君を────一生、許さない」

終章/空の境界 空の境界は全体を通してそうだが、奈須きのこの思想や哲学みたいなものが濃い。そのためかなり難解なところがある。終章はその最たるものだと思う。色々と考えて話したいがめちゃくちゃ長くなっているので好きな台詞を1つ選ぶと

ただ種が同じだけというコトを頼りに寄りそって、解り合えない隔たりを空っぽの境界にするために生きている。

そんな日がこない事を知っていながら、それを夢見て生きていく。

きっとそれこそが誰ひとりの例外もない、ただひとつの当たり前」

これはかなり奈須きのこの思想を反映した台詞の一つだと思う。

結局のところぼくはこういう奈須きのこの思想や哲学が好きで型月ファンをしているのだと思う。

そして、一挙上映後のトークイベント。

スタッフのトークやメモリアルビジュアルなど興奮しましたが、個人的に一番好きなのは黒桐幹也役の鈴村さんが幹也は中庸と表現して彼はどんな時も自分の考えを貫いていくということを話されて黒桐幹也というキャラの理解が進んだ気がする。

劇場版「空の境界」10th Memorial Theatre-夢のような、日々- とても疲れたが、すごく良いイベントだった。

空の境界、非常に難解な作品ではあるが、ハマるとそこにある奈須きのこの思想や哲学にどっぷりハマっていき、気がつけばそれが日々の糧になっている。そんな作品だとぼくは思う。

これからも空の境界を大切にして過ごしていきたい。


────それにしても20周年記念版の資金調達を考えなければ。